命を救う、それは医者のエゴ?正義?それとも…
おはようございます。
医療シリーズ第2弾です。
??アクセス、レスともに全然なかったですが、ある筋のスポンサーからの強い要望もあり継続が決まりました(笑)
大学病院に勤めていた時、救命救急センターが併設されていたので脳出血や交通外傷など重症な患者さんが多く運ばれてくる日常でした。
その中で助かる命、残念ながら助からない命、たくさんの命を目の前にして日々考えさせられていたことを今日はみなさんに問いかけてみたいと思います。
正直、経験をしていくと手術をする前の状態と画像診断で患者さんの予後(救命できるか、救命できても寝たきりか、社会復帰できるのか)がある程度わかります。それもかなり精度は高いと思います。それはそうですよね、何百という症例を経験しているわけですから。
でも、まずなにより、目の前の命を助けることに全力を注ぎます。助からなければ、その先はもちろんないわけで。
運ばれてくる患者さんが全て80歳とか90歳の老人じゃない、自分より若い人だったり、子供がまだ学生のお父さんだったり、翌週に結婚式を控える花嫁だったり、たくさんの患者さんを目の前にしてきました。
命を救って、たとえその後、寝たきりでも(いわゆる植物状態)ご家族から感謝されなかったことはありません。
命を救えなくても、「本当にありがとうございました」ご家族からの一言が、不眠不休で手術をしても、よし今日も頑張ろうって思う活力でした。
でもさ、仮にもし
45歳男性、仕事帰りに交差点で飲酒運転(信号無視でも)の車にはねられ重体
こういう症例実際にあるんです。
救命センターに呼ばれて、間違いなく緊急手術です。だって45歳だもん、絶対助けたい。頭部CTをみてわかるんです、、助けられる、、でも寝たきりだな。本当に運良くて、術後いつか、もしかしたら目を開けてくれるかな。それくらい重症。
手術の用意をして(オペ室、麻酔科に連絡して、手術の同意書作って、輸血の用意して)ご家族を目の前にすると、、奥さんとまだ中学生くらいの子供が二人。
本当に悔しくなります。だって「手術です。しても命が助けられるか助けられないか。でも手術しなければ死にます。」こう言うしかできない。結末はある程度自分でわかってるし。
絶対に命を助ける。この信念にみなさんもアグリーでしょう。
助かって寝たきり状態でも家族は運命としていつかは受け入れられる。
全力を尽くしたぼくたちにも結果は受け入れるしかない。
でもさ、事故を起こした運転手は、、?
ぼくたちが全力で目の前の命を助けることによって、運転手の罪が軽くなるよね、、
被害者は死ななかった。これくらいの情報しか運転手には伝わらないんじゃないのかな。
そんなジレンマ、目の前の尊い命を救うことに比べたら、、そんな風に言い聞かせて日々戦ってきました。
医者のエゴなのか?これって本当に正義なのか?悩んだこともたくさんありました。
でも、やっぱり命を救うってどんな思想よりも概念よりも超越した素晴らしいことなんだよね。だから今も医者を続けてる。
みなさんならどう考えますか?